Special

『予行練習』/書き下ろしSS

「それじゃあ着替えてくるわね、リィネ。アンナが戻ったら伝えておいて♪」

 ウェインライト王国王都、某老舗服飾店の一室。
 今日の為に選び抜かれたらしいドレスを手に、姉様――リンスター公爵家長女『剣姫』リディヤが私へ片目を瞑られました。窓から差し込む初夏の日差しが、長く美しい紅髪を煌めかせます。剣士服姿は今日も凛々しいです。

「は、はいっ! 姉様」

 一瞬見惚れてしまいながらも私は元気よく答え、敬礼しました。勢いよく動かしたせいか、私服の袖と手に持つ鞄が揺れました。
 同時に、後方で待機するうちのメイド達の困惑も伝わってきます。
 兄様――『剣姫の頭脳』の異名を持ち、姉様とは王立学校入学試験以来の付き合いで、私の家庭教師でもある東都狼族のアレンがいないのに、機嫌が良過ぎます。
 屋敷で母様に『新作のドレスを試着してきなさい』と命じられた時は、あれだけ嫌そうだったのに……。
 警備の問題で、席を外しているメイド長のアンナは何かを知って?
 姉様が私の頭をぽんぽん。

「もう、仰々しいわね。――次のドレスを選んでおいて。折角の休日なんだし、どうせなら楽しみましょう。リィネも王立学校に通っていると、こんな機会そんなにないだろうし」
「! は、はい」

 慌てて頷きつつも、私は疑念を更に深めてしまいます。
 今春、王宮魔法士に就かれた姉様はご多忙。
 私の通う王立学校も、こうしたお休みは珍しいです。
 けど……兄様がおられないと姉様は基本的に服装だって無頓着で、そもそも外出だって嫌がられるのに。

「こ、此方へどうぞ。リディヤ公女殿下」
「お願いね。――♪」

 私が考え込む中、緊張でガチガチな人族の若い女性店員に案内され、姉様は意気揚々と奥の試着室へ。信じ難いことに鼻歌まで歌っています。
 大陸西方に武名を轟かせる『剣姫』リディヤ・リンスター公女殿下、がですっ!
 その足取りはとても軽やかで、純白の炎羽も舞っているような……。

『………………』

 百戦錬磨のメイド達も信じられないようで、目を擦ったり、頬を互いに抓ったり、祈りを捧げたりしています。
 ――間違いありません。兄様絡みです。
 そうでなければ、休日を一緒に過ごせないのにこうはなりません。
 得心した私は窓際の豪華なソファーに腰かけ、手を叩きます。

「はいはい、驚いていないで、次のドレスを選ぶっ! 手の空いている子は、姉様の御手伝いに行きなさい。今なら宝飾品とかも試着してくれるかもしれないわよ?」
! 畏まりましたっ‼

 我に返ったメイド達が、目をキラキラさせて動き出しました。
 疑問よりも『リディヤ御嬢様の御為にっ!』という忠誠心が勝ったようです。

「…………ふぅ」

 一人残された私は小さくため息を零し、眼下の大通りへ目を向けました。
 休日なので当たり前ですが、学生の姿はありません。馬車と車が勢いよく通り抜けていくだけです。
 ――……ちょっとだけ。

『ふふ~ん。次席様、もしかして心細いんですかぁ? お可愛いこと☆』
『えっと、えっと。リ、リィネ御嬢様と一緒にドレス選び、したいです』

 脳裏に、今頃はハワード公と王宮へ出向いているであろう、数少ない同年代の友人達――ティナ・ハワードとエリー・ウォーカーの顔が浮かんできました。
 べ、別に心細くなんかありませんし?
 ずらりと、陳列されている煌びやかで真新しいドレスに気圧されてもいませんし?

「……まったく首席様は。エリーを見習ってほしいですね」

 メイド達や女性店員達が、興奮した様子で部屋と試着室を行き来するのを眺めつつ、私は手帳を取り出し小さく零しました。
 本日は雷曜日。明日、氷曜日の午後からは待ちに待った兄様の家庭教師です。
 ――……どうせなら、お休みが明日だったら良かったのに。そうしたら。

『リィネ、とても似合っているよ』

 何故か純白の婚礼用ドレスに着替えた私を、褒めて下さる兄様。
 優しく頬を撫でられ――

「~~~~っ!」

 わ、わ、私、なんて大それた妄想をっ⁉
 誰にも気づかれていないことを確認し、拙い風魔法で頬を冷やします。
 ――そもそも、私と姉様がどうしてこの店にいるのかというと。

            *

「へっ? 母様、こ、これに許可を出されたんですか⁉」

 思わず声をあげてしまった私は、目の前で優雅に紅茶を飲まれている紅髪で豪奢なドレス姿の美女――前『剣姫』リサ・リンスター公爵夫人をまじまじと見つめました。

『是非! 王都の店舗にて、リディヤ・リンスター公女殿下に新作ドレスを試着していただきたい』

 内庭のテーブルに置かれた、書類の依頼主は南都でも名の知れた老舗の服飾店。
 大陸西方に武名を轟かせ、まして『公女殿下』でもある姉様を名指しでなんて……。
 屋敷の内庭で咲き誇る花々へ目を細め、母様が白磁のカップを手に取られました。後方に控えていたアンナが、熟練の動きでティーポットから温かい紅茶を注いでいきます。

「ええ、出したわ。あそことは古い付き合いだし。減るものでもないでしょう?」
「えーっと、た、確かにそうですけど……」「…………」

 私は隣の椅子に座る黙ったままの姉様をちらちらと見やり、言葉を濁しました。
 空気が、空気が重たいですっ。
 心地よい天候なのに、心なしか寒気も……。

「け、けどっ! ど、どうして姉様に依頼を?」

 何とか状況を打破しようと、私は母様へ質問を重ねました。

「当主が王都に仕事で出て来た際、偶々入ったカフェでリディヤを見かけたみたいね。可能であれば試着した姿を映像宝珠に収めて、今後の参考にしたいんですって」
「は、はぁ」「………………」

 確かに姉様はお綺麗ですし、理解出来なくもありません。
 でも、それを請ける、請けないはまた別の話のような……。
 今まで黙っていた姉様が顔を上げられました。

「――……御母様」
「リディヤ、今日は暇なんでしょう? 行って来なさい」

 機先を制して、母様がクッキーを摘まれました。アンナの特製らしいです。
 基本的に怖い物無しな姉様も、母様と兄様には敵いません。
 目を逸らし、紅の前髪を指で弄りながら唇を尖らせます。

「…………別に暇じゃ。午後から出かけるかもしれませんし」
「アレンなら『今日は朝から妹のカレンと一緒に王都郊外へ小旅行』と聞いているわ。屋敷に来るとしても夜でしょう?」
「! ど、ど、どうしてそれを⁉」

 淡々とした指摘に、姉様は分かり易く動揺されました。
 なるほど。今日は朝から御機嫌斜めだった理由が分かりました。納得です。
 兄様、カレンさんに甘々なんですよね……。
 母様がソーサーへカップを戻し、嘆息されます。

「貴女の考えなんてお見通しよ。私は母親だもの。はぁ……前もってアレンの休日を押さえておかないなんて。大方、誘われるのをぎりぎりまで待っていたのだろうけれど。そういう変に受け身な所、誰に似たのかしらね。先が思いやられるわ」
「………………」

 あ、ま、まずいです。周囲で警戒に当たるメイド達を厳戒態勢に移行していきます。
 姉様の身体から魔力が漏れ、黒い炎羽が舞い始めたのを察知し、私は勢いよく左手を挙げました。

「は、はいっ! 母様。お、お店には、私も着いていっていいですか?」
「勿論よ。リィネ。楽しんできなさい。――どうせ、この子は適当に選ぼうとするだろうから、そういう時は、ビシッと言って構わないわ」
「………………」「アハ、アハハ……」

 母様! 猛火に油だと思いますっ‼
 内心で私が悲鳴をあげていると、姉様は頬を少しだけ膨らませそっぽを向かれました。明らかに拗ねています。

「……私は『店舗へ行く』とも、まして『試着しても良い』なんて言っていません……」

 こうなったが最後、上手く説得出来るのは兄様くらいしかいません。下手すると、暴れて屋敷を破損する可能性も。
 ど、どうしたら⁉
 すると、母様はこれ見よがしに嘆かれました。

「困った子ね。――アンナ」
「はい、奥様」

 栗色髪のメイド長は両手を合わせるや、姉様の傍へ移動。
 それはもう楽しそうに話しかけます。

「リディヤ御嬢様、お耳を☆」
「……何よ? 言っておくけれど、私はそう簡単に」

 アンナが何事かを姉様に囁き――

「――っ」

 変化は劇的でした。
 長く美しい紅髪が初夏の風に乱れるのも構わず、姉様は立ち上がられ、いきなり私の左肩に手を置かれました。

「リィネ、さ、行くわよ」
「へっ? は、はいっ!」

 事態の急転に戸惑うも否応はなく「母様、行ってきます」と挨拶をし後に続きます。
 行くこと自体に忌避する想いはありません。
 兄様がいないのは残念ですが、新作ドレスに興味がないわけじゃないですし。
 でも、あれだけ難色を示されていたのに、突然どうして?
 半ば強制的に内庭から連れ出されながら、小首を傾げる私に母様が微笑まれます。 

「リィネ、リディヤをお願いね。アンナも着いて行ってあげてちょうだい」
「は、はーい」「御任せください、奥様」

 釈然とはしません。しませんが。

「フフフ~♪」

 姉様の横顔は先程とは一転輝いています。とても話を聞けそうにありません。

 仕方ないですね。今はとにかく服飾店へ向かいましょう。

            *

「…………」

 午前中に起きた出来事を思い出し終え、私は黙考します。
 あの時、アンナはいったい何を姉様に囁いて?
 戻って来たら、早急に聞き出さないと――。

「リィネ、待たせたわね」

 涼やかな声が私の耳朶を打ちました。反射的に立ち上がります。

「! は、はいっ‼ あ、姉様、お帰りなさ――……ふわぁぁぁぁ」

 自然と感嘆が口から漏れ出てしまいました。

 ――そこにいたのは、紅を基調とし、素晴らしい装飾の施された婚礼用ドレスに着替えた『剣姫』リディヤ・リンスター。
 珍しくはにかみながら、聞いてこられます。

「どう、かしら?」
「お綺麗です。とっても、とっても、とってもっ!」
「フフ♪ ――ありがとう」

 何度も伝える私へ微笑み、姉様は髪をかき上げられました。純白のベールが差し込む陽光を反射し、輝きます。
 ……一枚の名画みたい。
 映像宝珠を手にしたメイド達と女性店員達も、興奮した様子で口々に称賛します。

「リディヤ御嬢様、御美しい……」「女神様です」「後光が差して?」「信じていませんでしたが、神様はいらっしゃるのかもしれませんね」「良い仕事をしました」

 同感する他ありません。
 でも、まさか婚礼用のドレスを着られるなんて……。

「最初はどうかと思ったけれど、純白じゃなく、紅も中々良いわね。――将来の候補に入れておこうかしら? あいつの好みも聞き出さないと♪」

 兄様がいないと滅多に見せられない柔和な表情を浮かべ、姉様が独白されます。
 とにかく幸せそうで、口を挟めません。胸がドキドキしてきてしまいました。

『ッッッ!?!!!』

 私は大丈夫でしたが、耐性のない一部のメイド達と女性店員達が頬を上気させ次々と倒れていきます。
 そんな混沌とした状況の中、やや冷静さを取り戻した私は、ふと疑問を抱きました。
 ――これだけ素晴らしいドレスが用意されているのに、姉様はどうしてわざわざ婚礼用のドレスを選ばれて?

「フッフッフッ……その疑問、私がお答え致します☆」
「! ア、アンナ⁉」

 振り返ると、映像宝珠を片手に栗色髪のリンスター公爵家メイド長がニコニコ顔で立っていました。入り口の扉が開いた気配は一切なかったのに……。
 動揺しつつも好奇心が勝ち、小声で尋ねます。

「(屋敷で姉様に何て言ったの?)」
「(それは、でございますねぇ♪)」

 心底楽し気な様子のアンナが、私の傍へ近づき囁いてきました。

「(魔法の言葉――『将来の予行練習も必要では?』と助言をばっ!)」
「(あ~……なるほど、ね)」

 私は納得してしまいます。
 当然、その相手は世界で一人しかいません。
 メイド達や女性店員達が薦めてくる次のドレスや宝飾品を品評中の姉様を一瞥します。
 普段の凛々しい剣姫様ではなく、恋する年頃の少女。
 ほんの微かに、チクリと胸が痛みました。
 ――……いいな。私も。私だってっ!
 思い立ったら行動を。リンスターの家訓です。
 私は息を吸い込み、メイド長の袖を引っ張りました。

「アンナ、私もドレスを試着しても良いのよね?」

一覧に戻る